シーン5/いなくなった者。残された者。 ―コウとセレス。―
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ノーティス。
グレナダでも数ある資産家の。そのなかでも特に名の知られている。
というより、少なくともその名を知らない者はほとんどいないだろう、その名前。ノーティス。
この屋敷の主の姓。
テティス。―テティス・ウィル・ノーティス。
屋敷に着くまでの間に、コウはメイドからそんな事を聞かされた。
今、目の前にいるリアナ、ルシオラ。それから、隣にいるテティスをそれぞれ見ながら。
(本当・・・とんでもなくお嬢様なんだ。テティスちゃん・・・)
そんな人物を、あんな危険極まりない場所へと連れ歩いていたのだと考えると、
済んだことではありながら。それはもう、コウにとって生きた心地のしないものだった。
「食事の用意ができるまで、そちらでくつろいでいてくださいね」
そう言ってリアナは、2人のメイドにコウとマークを客室へ案内するよう告げ、
私は一度自室に戻りますね、と1人屋敷の奥へと消えていった。
「あたしらも部屋にいっかい戻ろうよ、お姉」
と、ルシオラがテティスに言うと。
「うんー、いいよ。ルシオだけで戻ってて!ボク、この人たちと一緒にいたいから」
テティスがコウとマークに一度振り向いてからそう答えた。
それを聞いてルシオラは、2人を見て一瞬表情を険しくする。
なんだろう?と、コウが思っていると。
ルシオラがメイドの元に駆け寄り何かを耳打ちする。
メイドが軽く笑みを浮かべながら「かしこまりました」と返事をすると、ルシオラはそれから、テティスのほうを向いて。
「じゃあ、あたしら部屋に戻ってるからね!・・・気をつけなきゃだめだよ、お姉?」
そうしてセレスに「いこ!」と声をかけ、ふたりでパタパタと足音を立てて屋敷の奥へ走り去っていった。
(・・・なんなんだろう??何か・・・変だったかな・・・俺達?)
先ほどのルシオラの表情と行動が気になって、コウは。
その後メイドに連れられ客室に向かう間中ずっと。その事ばかり考えていた。
そんな横で、マークの様子はといえば。その、ルシオラちゃんもどうだとか、メイドもどうだとか。
まあつまり、いつものマークのそれだった。
「・・・すげー」
「はぁー・・・」
客室に足を踏み入れてすぐ同時に、コウとマークは驚きの声をあげた。
・・・というより、このノーティスの屋敷に足を踏み入れてからの2人は。
もうずっと驚いてばかりだった。
屋敷内は床や壁、屋敷を支える柱、それら全てが大理石。壁や柱には、豪華な彫刻が施されていた。
そして、床に敷き詰められた厚手の絨毯(じゅうたん)。
天井には、形、大きさの様々な宝石が無数に配列されたとても豪華なつくりのシャンデリア。
その他にも、数々の調度品が目についた。
それらはもう、一般に屋敷といわれて想像できる光景とはまるで別のものだった。
そして、2人が案内された客室というのもまた、同じで。
室内にはさらに、大理石の壁を飾る色鮮やかな刺繍がされたカーテン。
部屋の隅には、いかにも高級だといわんばかりの生地のシーツが敷かれた巨大ベッドと。
中央には豪華な装飾の施されたテーブルとチェアーが置かれている。
「やっぱり、城かどこかだって・・・これ」
「・・・。俺もそう思えてきたよ・・・何か」
周囲に聞こえるか聞こえないかの声で、コウとマークが話す。・・・と。
「もー。お城じゃないって言ってるでしょー」
「あ、テティスちゃん」
しっかり、テティスに聞こえていたようで。というか、聞き耳をたてていた、というのがいいか。
と、そんなやりとりをしている3人にメイドが、後ほどお呼びいたしますねと告げ、客室を出て行った。
―それから。
コウとマークは、何だか落ち着かない様子で室内を行ったりきたり、窓から外を覗いてみたりしていた。
「ねーえ、こっち来て座ってお話とかしようよぉ」
1人テーブルに腰掛けたテティスがそう言ってくる。
「あ、うん?そうだね・・・」
「どうしてずっとお部屋の中を行ったりきたりしてるの?」
不思議そうにそう訊いてくるテティスに、コウもマークも苦笑いで返すしかない。
(これで落ち着けっていうほうが難しいと思うよ・・・)
まあそれでも。確かにいつまでもこうしているのもどうかと思ったので。
コウもマークも言われるようにチェアーに腰掛けることにした。
「・・・まだ誰も呼びには来ないね。時間がかかってるのかなー?」
腹を手で押さえながら、そんな事をマークが言う。ぐぅ、と腹の虫も同時に鳴った。
「もう・・・恥ずかしいなお前・・・」
頬に手を当て、肘をテーブルにつけてコウがため息をつく。
こんなやりとりが、先ほどから何度か繰り返されている。
「だってよー・・・今日いろいろあって疲れたんだよー」
「今日に限ったことじゃないし、それにお前だけじゃないだろ。みんなそうな
ぐぅぅぅ。
と、何度目かのやりとりで。
突然室内にそれまでで一番大きな音が鳴って、それがコウの台詞を遮った。
少しの時間、3人が3人ともしん、と黙り込む。
そして、マークとテティスが同時に、ゆっくりと・・・コウの方へと向いて。
「・・・・・・」
2人の視線を一気に受けたコウは、それでも特に顔色を変えず言葉も発しなかったが。
時間が過ぎるごとに、だんだんと顔色が赤くなっていって・・・。
状況に耐えられなくなってきたコウが、観念して口を開こうとして―
「・・・ぷっ!ぶふっ・・・!」
と、それよりも先にテティスが吹いた。
「あははっ、コウさんお腹・・・!お腹の・・・お腹の音・・・!」
掛けているチェアーごと倒れそうになりながら、体を震わせてテティスが笑う。
「・・・・・・」
それを見たコウは、なんだかものすごく恥ずかしい気持ちになって、それから言葉が出なくなってしまった。
「コウ、人間素直が一番だよ?」
若干含み笑いを浮かべながらマークが、コウの肩に手を置いてそう言った。
いつもならそこですがさず突っ込みを返すところだったけれど。
今のコウにはそれも出来なかった。
「あははっ!あははは・・・っ!!コウさ・・・お、お腹・・・!あはは・・・」
テティスはというと、ついたその笑いの火はしばらく消えそうになかった。
「・・・落ち着いた?テティスちゃん」
それからしばらくして。まだ少し笑いの火が消えずに残っているらしいテティスに、
その火をつけた(?)本人が問いかける。
「・・・はぁ、はぁ・・・。う、うん落ち着いた・・・かな・・・」
「それはよかった」
そういうコウは、ちょっと、いやかなり拗ねたような表情をしている。
・・・それから少しして、完全に落ち着いたらしいテティスが、ふぅ、と一息ついて。コウとマークの方を向く。
「?どうしたのテティスちゃん、なんかあらたまっちゃって?」
「うん。コウさんも、マークさんも。セレス君捜すの手伝ってくれて、本当にありがとうねって」
「ん、ああ、なんだ。そんな事気にしなくてもいいよ」
「ううん、コウさん達のおかげでセレス君を見つけられたんだもの。・・・まさか、あんなに遠くに行ってたなんてビックリだよ!
・・・いっつもあんなに遠くまで行ってたのかなぁ・・・」
「え?いつもって」
テティスの最後の言葉は少し小さめだったけれど、コウは聞き逃さなかった。・・・気になって、聞き返す。
「今回だけじゃないの?」
「うん。・・・セレス君ね、時々こうやってに急にどこかに行っちゃうの」
「急に、ね・・・?」
「もう、何回もなんだよ。誰にも、何も言わないでさ?・・・だからいっつもボク達あちこち捜しに行くんだよ!
・・・けど、全然見つからなくって」
言いながら、というか思い出しながら?テティスの機嫌が、どんどん悪くなっていく。
「そりゃあ、街の外・・・それもあんな場所にまで毎回行ってたんだとしたらなぁ・・・」
場所が毎回同じかどうかはもちろんわからないわけだけれど。まあなんにしても。
テティス達がグレナダ中を捜しまわったところで、セレスを見つけることは出来るはずがない。
「仕方なく、セレス君が帰ってくるのを待つしかなかったんだ。だけど・・・」
「今回は俺達や、他の奴らの目撃情報があったから。それで見つけられたってわけだ」
両手を頭の後ろで組み、チェアーに思い切り身を任せながら、マークがそう言う。
「うん」
「その・・・セレス君は本当に何も言わないんだ?・・・どうしてそんな事するのか、とか」
コウがテティスに訊くと、
「話してくれないよ。その話をしようとすると、いっつも“ごめんなさい”って言って、それ以上何も話してくれなくなるんだもん!」
そう言って、テティスはあーあ、と大きくタメ息をついて。両手を前に突き出しながらその間に顔を埋める。
そして少ししてから、テティスはまた顔を上げた。
さっきまではご立腹、というように顔をしかめていたテティスが、今度は寂しそうな表情をしている。
「ボク達、セレス君の事すっごく心配してるんだよ・・・。なのに、セレス君たらさ・・・」
テティスの心情を察して。・・・少なくとも、本人はそのつもりで。
マークがテティスにいつものノリで話しかける。
「んー、ああ、あれだねきっと!」
「?」
「可愛いテティスちゃんを前にすると、照れちゃって何も言えなくなるんだな!・・・彼、なんだかシャイって感じだし!」
「・・・・・・。そんなわけないじゃんっ」
「ん、ああ・・・そうかな?ははは〜」
返しはテティスのいつものそれだけれど。声にはいくらか怒気が含まれていた。
流石のマークも気づいたようで、言ってみた後のその表情は引きつっている。
(そこは考えろよ・・・マーク)
小さくタメ息をつきながら、コウは胸の内でそう突っ込む。・・・と。
(けど・・・実際どうなんだろう。あのセレスって子・・・なんで周りに黙ってそんな行動を取るんだろうか・・・?)
テーブルに再び顔を埋めて、黙りこんでしまったテティスに、懸命にフォローをいれるマークを横に。
コウは1人、セレスの事を考えていた。
セレスは、誰にも何も言わずに、屋敷を飛び出しては戻ってくるという事を繰り返している。
(誰にも言わないで、ってのがわからないよな。話さない。・・・話せない?何か理由がある?)
誰にも何も言わず、屋敷の外にセレスは“どこに、何をしに行っているのだろうか”。
と、そこで。コウは自分達がセレスを発見した場所の事を思い出す。
(グレダの森・・・。その奥地にはエルフが暮らしてるという・・・)
セレスは、エルフだ。その、エルフのセレスが、エルフの暮らすという森にいた。この事は何か意味があるのでは、とコウは考えた。
(・・・いや、どうかな。言い切ることは・・・できないな。今回俺達は“偶然”あそこでセレスを見ただけかもしれない。
今まではどうだったのか。それは“セレス本人しか知らない”事で・・・)
結局、ここであれこれと1人で考えてみても、答えなど出ないのだと。コウは考えるのをやめた。
と、ちょうどそこで、客室の扉が開き。先ほどのメイドが入ってきた。
「お嬢様。それからおふたりも。お食事の用意が出来ましたので、食堂へご案内します」
と、3人に軽く頭を下げてから笑顔でそう言った。
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